最優先で伝えるべき安全情報を可視化する方法

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安全対策に必要な情報を絞り込む

前回の記事では海外の事業現場で活躍される方に対し、本当に必要な情報だけを伝えることが効果的な安全対策であることをお伝えしました。

 

 過去数年間に発生した凶悪犯罪をすべて伝える

 国内で活動しているとされるテロ組織をすべて記憶させる

 欧米諸国でも発生しているテロの手口の一つ一つを細かく説明する

 

といった安全情報の提供をしてしまうと、聞き手が受け止めることができなくなります。特に短期間の滞在となる観光や出張の場合は、必要最低限、何があってもその国で守らなければならないルールだけを徹底して伝えるほうが、効果的なのではないでしょうか?

 

例えば

 

 テロに巻き込まれるリスクが高いのでこのエリアには近づかない!

 万が一テロや事故に巻き込まれたらすぐ安全対策担当者に連絡せよ!

 日本と違いスリや置き引きが非常に多いので、絶対に貴重品を手元から離さず、目も離すな!

 

といった三点に絞るといった工夫をしてみてはどうでしょうか?1時間半にわたり網羅的に安全対策の話をするよりも、30分間の間に、この三点を2回か3回繰り返し伝えたほうが、聞き手にとっては記憶に強く残るはずです。

 

ただ、安全対策担当者の立場では、これ以外のリスクも存在していることを承知の上で、伝える情報を絞り込むという難しい作業が発生します。どの情報を伝えて、どの情報は軽く触れる程度でとどめておくのか。この匙加減が極めて難しいのです。もし自分の判断で強調しなかったリスクに旅行者や出張者が巻き込まれたら・・・と考え始めると結局一時間以上かけて網羅的に説明するか、という発想にもなりかねませんね。

 

当サイトでは本当に必要な情報を効果的に理解してもらうために、安全対策に関する情報の優先順位を正しくつけることが重要だと考えています。また、なぜこの情報は何度も強調し、なぜ別の情報は簡単にしか触れないのか、を説明できるようにしておくことも大切だと考えます。この二点がしっかりできていれば、効果的な安全対策の実現に一歩近づきます。また、万が一海外の事業現場で関係者が被害に遭ったとしても、安全配慮義務が十分ではない、と批判されづらくなるという効果もあります。

 

繰り返すと

 

1)安全対策に必要な情報の優先順位付け

2)優先順位を付けた根拠を説明できるようにしておくこと

 

の両方ができていれば、おのずと聞き手に伝わりやすいシンプルかつ丁寧な安全関連情報の提供ができるのです。

そこで今回はシンプルに安全対策情報を伝えるために、本当に伝えるべきポイントは何か、絞り込むツールをご紹介します。

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「リスク」を分解して評価するツール=Risk Matrix

旅行者や短期間の出張者など、その国のリスクにあまり長い期間触れない関係者には必要な情報をシンプルに伝えることが効果的な安全対策につながります。ただし、「必要な情報をシンプルに伝える」ことは思いのほか難しいのではないでしょうか?

 

このページでは、国連関係機関の安全対策を一手に担っているUNDSS(United Nations Department of Safety and Security) も活用しているツール、Risk Matrixをご紹介したいと思います。このツールを活用すれば本当に伝えなければいけないリスクを浮き彫りにすることが可能になります。特に海外進出済み、検討中の企業の安全管理担当者様にとっては、このツールを活用することを覚えるだけでも、他企業よりも一歩上の安全対策体制が構築できますので、ぜひこのコラムをお読みいただければと思います。

 

では、Risk Matrixがどのようなものか、次の図をご覧ください。

 

 

Risk Matrixはご覧いただいてわかる通り、「リスク」という漠然とした概念を二つの要素に分解し、それぞれの評価を掛け合わせることで、総合的なリスクをランク分けするための仕組です。縦軸はテロや事件/事故がどの程度の確率で発生しうるかを順に並べたもの。横軸は万が一テロや事件/事故が発生した場合にどの程度深刻な被害が発生するかを順に並べたもの。右上に行けば行くほどそのリスクに優先的に対応する必要がありますが、左下に位置する事案は注意はしておくべきだけれどもその対応優先順には低いですよね、と評価されます。

 

縦軸=発生頻度と横軸=被害の影響度の二つに分解するとそれまで漠然としていた「リスク」という概念が見える化されることがわかっていただけるのではないでしょうか?

 

企業や組織の安全対策担当者の方からよくお伺いするのは

 

‘’なんとなく‘’危ない気がする、

あの国はこの種の被害が一番多いように‘’感じる‘’

とは言え、犯罪統計やテロの被害の実態を調べるのは難しいし・・・。

 

という声です。

 

おっしゃる通り、犯罪やテロといった治安当局の保有するデータはそう簡単に入手できるものではありません。ただ、皆さんも経営判断をされる際、正確な統計はないけれども論理的に推論を組み立て、合理的と思われる結論を導き出す、ということは日常的にやっておられるはず。その際には、推論に必要なツールとして、各種のフレームワークやフェルミ推定のような思考方法を活用されているのではないでしょうか?

 

このRisk Matrixは正確無比のデータがなくとも、単なる感覚を説得力ある安全対策検討材料に変換することができるツールだととらえてください。

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発生頻度と被害の影響度に分解、優先順位を確認しよう

さて、Risk Matrixをもう一度眺めてみてください。縦軸は発生頻度、横軸は被害の影響度になっていますね。この二つの掛け算で総合的な「リスク」を洗い出しましょうというのがこのRisk Matrixの基本的な考え方になっています。

発生頻度が高ければ、被害が発生する可能性も高まりますので、発生頻度が高いものほど「リスク」も高まります。被害の影響度が大きければ、万が一事態が発生してしまった場合、人命が失われたり、資産が著しく既存したりしますので、こちらも「リスク」も高まります。

 

Risk Matrixでは発生頻度もしくは被害の影響度のいずれか一方ではなく、両方が高いものほど総合的な「リスク」が高くなるように設計されており、5段階での評価(Very High >High>Medium>Low>Very Low)が導き出せるようになっています。

 

皆さんが海外の空港で毒殺される可能性はほぼゼロと言い切れるはず。リスクとしては存在していても関係者に発生する確率が極めて低ければ優先順位は低い(英 IB Timesが公開している金正男氏暗殺時の監視カメラ映像より)

 

このRisk Matrixは発生頻度と被害の影響度を掛け合わせることで、総合的な「リスク」が見えてくるという利点があります。このため、限られた安全対策リソースを総合的な「リスク」のより高い事案に効率的に割り当てようと検討する際に絶大な威力を発揮するのです。

 

例えば、発生頻度が多いけれども、ほとんどのケースで人命に影響がないような一般犯罪の場合は、

 

「最低限の注意をするけれども事件に巻き込まれれば無抵抗でやり過ごす」

 

という結論で済ませることもやむを得ません。

 

また、発生頻度が著しく低いけれども、万が一発生した際には大きな被害が発生する場合、

 

「手が回らないので、対策を後回しにしよう」

 

という判断もまたやむを得ないでしょう。

 

安全対策にかけられるコストやリソースが限られている場合、論理的に「リスク」が大きいと判断される項目を優先すべきです。すなわち、Risk Matrix上で、発生頻度が高く、また被害もそれなりに大きい(Medium ないしHighあたり)といった事案への対応を優先すべきでしょう。関係者に安全対策情報を伝える場合も、MediumやHigh以上のリスクに絞って伝えるという判断もやりやすくなるのではないでしょうか?

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人命がかかっているからこそ「感覚」を可視化し、論理的に「リスク」を分析する

Risk Matrixの意義、そして活用方法について、一通りご説明させていただきました。蛇足になりますが、最後にRisk Matrixは安全配慮義務の説明にも役に立つことを補足します。

 

Risk Matrix活用の最大の利点は、各脅威要因がご自身や所属団体にとってどの程度の頻度で発生しそうなのか、また万が一発生したとして、どのくらいの被害が生じそうなのか、冷静に見つめなおすことができる点です。Risk Matrixを使ってみると、我々がイメージしている「リスク」と分析結果が異なる、という事態にもしばしば直面します。

 

例えば、テロのニュースは世界的にも大きく報道されますし、死者が出てしまった場合、「万が一巻き込まれたら・・・」と悪いイメージが強く印象付けられてしまうこともあり、テロリスクはやや過大評価しがちです。

他方で、一般犯罪などは「まぁそういうこともあるよね」と認識されてしまうためか、発生頻度やその凶悪性(強盗に発展しているかどうか、組織的かつ計画的に行われているかどうか等)といった点を踏まえると過小評価してしまう傾向にあります。

 

 

しかしながら、Risk Matrixの発生頻度×被害の影響度という掛け算を用いれば、

 

「被害の影響度は極めて大きいけれども、よく考えたらまず起こらないな」

 

という事例を過大評価することはなくなります。イメージにとらわれて、こうした事例への対策を優先させてしまうと、実は人命を失いかねないくらいの影響度があるにも関わらず、目立たない、ニュースにならない、という理由で過小評価されてしまっている事例への対策が後回しになってしまうのです。

同じ理由で、関係者の安全を守るために本当に重要な情報を浮き彫りにする際にもRisk Matrixを用いたリスク評価を行うことに意義があります。短期の滞在者の方に伝わりやすいよう、ポイントを三つに絞る際には、Risk Matrixで優先順位が高いと評価されたものから説明を行うことをおススメします。発生可能性も極めて低く、被害も軽微な事案(Risk Matrix上で「Very Low」と評価されるような事案)の説明を少し短めにして、よりリスクが高い事案への注意を呼び掛けることは決して怠慢ではありません。万が一そういった事案で被害が発生しても、

 

「実効性のある安全対策のためより発生可能性が高く、

より被害の影響度が大きいリスク事案の注意を優先しており、

軽微な事案への注意喚起は書面のみで行っていた」

 

と説明すれば、安全配慮義務を完全に怠っていたとは評価されないはずです。

 

 

経営上、お金の面での失敗は避けるべき事態ではありますが、よほどのことがない限り、失敗=自分や従業員の死ではないはずです。他方で、安全対策の場合は失敗はすなわち人の命が失われたり、けがをしたり、という事態にもつながりかねません。お金以上に重要な人の命がかかっているからこそ、「感覚」で判断するのではなく、冷静かつ論理的な「リスク」分析が必要ではないでしょうか?

 

ぜひ、Risk Matrixを活用して皆さんにとって、最大の「リスク」がなんであるかを発見してみてください。

 

なお、無償で公開している本コラムではRisk Matrixのみを説明させていただきました。企業や団体の安全対策ご担当者様などで、

 

「我々の海外進出先、海外での活動実態に即してより精緻なRisk Matrixを作成して欲しい」

「発生頻度や被害の影響度の分類基準を詳しく知りたい」

 

というご希望がございましたら個別コンサルティングにて対応させていただきます。ぜひとも、当方窓口までご連絡ください。

この項終わり