日本の担当者イメージVS現地の肌感覚

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同じ情報でも現地にいる人と日本の担当者、受ける印象は違う

 

例えば、業務を担当している外国でテロ事件が発生したとしましょう。隣国との国境から30キロほどのところで死傷者合計40人くらいの事件が起きた、となれば、日本語メディアでも報じられるテロ事件です。

これを現地で業務に従事している人は

・自分たちがいる首都からは400キロくらい離れているし、そもそもこの地域は過激派と治安当局の衝突が続いている地域。「これまで通り」のテロであって問題はないでしょう。自分たちの活動にも影響ありません。

と判断することがあります。

 

他方で、日本国内で特に安全管理を担当している人から見ると

・関係者が滞在している首都とはリスクの高い地域だとされているけれども、それでもこれほど大きなテロが発生するのは何かもっと悪いことが起こる予兆ではないのか?首都でテロが起こらないといいきれるのか?万が一関係者に死傷者が出たら責任問題が大きくなるので、一旦現地滞在者数を減らすか、事業を止めたほうが良いのではないか?

といった見方をすることだってあるでしょう。

 

 

全く同じ事件を別の立場でみると往々にして判断が二極化することがあります。現地にいる方からすれば、「このくらいは当たり前なので心配しなくてもいい」、という立場。日本にいる方からすれば、「心配なことがあればできる限り安全を最優先にしたい」という立場。どちらも感覚としては全うだと思います。

 

なぜ、こういうことが起こってしまうのでしょうか?これは、現地の人には「自分は大丈夫であろう」という正常性バイアスがかかる一方で、日本側には限られた情報を拡大解釈してしまう傾向があるためだと思います。

正常性バイアスとは緊急事態が発生しているにも関わらず、「自分には関係ないよ」「自分がいる場所では安全だ」と現実逃避的な思考回路を持ってしまうこと。この結果、備えがおろそかになったり、退避すべきタイミングで退避しそびれたり、といった事態が発生しかねない考え方です。

 

日本でもこの夏大雨による特別警戒警報が出ていたにも関わらず逃げ遅れる、という事態が報じられていました。あの時避難所に逃げなかった方から多く聞こえてきたのが「自宅は大丈夫だと思った」という声。残念ながら典型的な「正常性バイアス」でした。

 

他方で、日本にいる人は40人死傷!、テロ発生!というごく一部の切り取られたニュースを見て現地に大丈夫か!?と問いかけがちです。テロが発生した文脈やどのような標的がどんなタイミングで狙われたのか、用いられた武器はなんだったのか?犯行主体の主張はどのような内容なのか?を調べると日本人や日本企業に直接脅威があるとは言えない事件も多数発生しています。

 

一部の情報に意識を奪われて、全体像が見えなくなっても判断を誤ります。特に離れた地域から見ていると、自分がその場でなにかできない、という意識も働きますので、「お節介」な発言も出かねません。

 

同じ事件でも海外で業務に従事している人と、日本から見ている人では見え方が異なって当然なのだ、ということをまず認識していただく必要があります。

 

【次ページでは・・・認知のバイアスを極力防ぐための方法論をご紹介しています】