日本政府厚生労働省の統計不正
日本政府厚生労働省が、「基幹統計」に指定された毎月勤労統計調査を不適切な方法で集計、発表していたことが波紋を呼んでいます。大きな企業すべてのデータを入手し、集計することが本来定められた調査方法でしたが、省内の独自判断で抽出調査に変更、作業の手間を簡素化していたことが事の発端と報じられています。
この毎月勤労統計調査は日本の経済状況を把握するために日本はもちろん、世界でも活用されていました。そのため、そもそも日本の景気判断が間違っていたのではないか?との疑惑にもつながっています。加えて、この統計調査を基に日本全国の平均的な給与額を算出し、雇用保険や労災保険等の支払額に活用していました。大元になる統計で手抜き作業が発覚したことで、平均的な給与額が低く算出されていたことも判明。2004年以降に関連の保険給付金を受け取っていた方、約2000万人が本来受け取れる金額よりも少ない金額しか受給できていなかった可能性が報じられています。
本HPは行政機関のチェックを目的とはしていませんので、これ以上の詳細には触れませんが、本来あるべき姿が歪められた大きな問題であることは間違いありません。
一点勘違いしてはいけないのは、抽出調査そのものが問題ではないという点です。いかなる調査であれ、「抽出調査をする」と決めてその通り統計をまとめていればその統計は正しく取りまとめられていたと言えます。そして、同じ調査手法に基づく集計結果が継続して発表されていれば、その結果への疑義も生じません。
今回の問題の核心は「定められた調査手法を担当部門の都合で勝手に変更し、その変更を外部に一切公表していなかったこと」であると言えるでしょう。
なぜマニュアルや業務手順書は無視されるのか?
本来法律に基づき、定められた手法で業務を行うことが至上命題である行政機関で発生した今回の不正。影響を受ける人数が全人口の20%近くに及ぶこともさることながら、行政機関の暴走そのもののインパクトも計り知れないものがあります。
ただし、こうした事態は決して政府機関、行政機関特有の現象ではありません。民間企業各社においても、似たようなマニュアル無視、業務手順書無視は多く発生しています。企業コンプライアンスは専門外の当HPで把握している限りでも以下のような事例が確認できました。
・東海村JCO臨界事故
・製造した自動車の完成検査を無資格者が実施(自動車メーカー)
・消費期限の社内基準を満たさない商品を出荷(複数の洋菓子、和菓子メーカー)
・社内マニュアルに基づかない担当者個人プログラムの利用でデータ消失(サーバー管理会社)
・業務手順に基づかない市民情報の持ち出し/USB一時紛失(2022年6月追記)
特に影響が大きかったのは死者2名に加え700人近い放射線被曝者が出た東海村JCO臨界事故。放射性物質を用いる工場ですので、元来安全第一どころか、安全最優先で業務を実施しなければなりません。このため、日本原子力産業協会が公開しているコラムにある通り、臨界事故を防ぐため作業工程や一回当たりの作業量に細かい規定がありました。
しかしながら、JCOの工場内では安全ではなく作業効率を重視し、日常的に一部工程をすっ飛ばすとともに、一回に投入する放射性物質の量もマニュアルで定められた量の6~7倍になっていたのです。JCOでは国の許可を得たマニュアルとは別の「裏マニュアル」を作成しており、さらに事故が発生した前日からはその「裏マニュアル」すら無視した作業が行われ、結果的に大事故が発生してしまったとされています。
安全よりも作業効率を優先する、という状況は実際に作業を担当する人間からすれば
「このくらい大丈夫だろう」
「いつもなんともないからな」
という感覚でマニュアルを無視して行われてしまうこともあります。
それを防止するために経営層や管理者層が安全文化を作らなければならないのですが、組織ぐるみで「裏マニュアル」が作成されていたことを考えれば、経営層や管理者層もマニュアル無視を容認(もしくは採算を重視して推奨)している事例もあるのでしょう。
こうしたマニュアル無視、業務手順書無視は日本政府のみならず、民間企業でも多く発生しています。もしかしたら皆さんのすぐそばで起こっていてもおかしくありませんね。
マニュアルの裏側にある「なぜそうするのか?」を大切に
では、なぜこういったマニュアル無視、業務手順書無視が発生してしまうのでしょうか?
現場での作業を楽にするために、
無駄なコストを少しでも省くために、
マニュアルを無視しても何も事故が起こらなかったから、
直接的な背景はこのような動機付けによるものでしょう。
ただ、こうした動機付けの背景にあるのはそもそもマニュアルがなぜ存在しているのか?が認識できていないという問題です。なぜ、マニュアルが作られたのか、なぜ面倒な業務手順になっているのか、を理解すれば、たとえ作業が楽になろうが、コストが安くなろうがやってはいけないことはやってはいけないと認識できるはずなのです。
100名上の死者を出した事故を経験した組織の安全読本には
「なぜマニュアルってあるの?」
という項目が設けられています。その項目ではマニュアルが作成される意味合いや先輩がマニュアルに基づき後輩を指導する際に、根拠や過去の失敗事例も示す必要がある、といった解説が書かれていました。マニュアルというと、日々の業務をどのようにするか(How)に目が行きがちですが、なぜそう定められているのか (Why)を理解して初めて意味があるのです、とも記載されています。
大事故発生直後は直接事故に関わった社員も多く、反省点や教訓が組織内に広がります。しかし、大事故から長らく時間が経過すると、そもそもその事故をリアルタイムで経験していない社員も増えてきます。事故の経験がなければマニュアルに記載された詳細な手順や制約は一見、古臭い、組織都合の塊に見えることもあります。しかしながら、大事故を経験した人間や、日々安全の意味を考えている部署・担当者からすれば、そのマニュアルを無視することは事故の再発に直結すると感じてしまうもの。マニュアルを作成し、真の意味で活用するためには、先輩から後輩に、安全担当部門から一般社員に、目的や根拠を理解し、やらされ感や無意識での手順の省略等が発生しないようにしなければならないのです。
そして、もしマニュアルが作業現場や海外での実務に沿っていない、と感じる時には正しく変更できるよう、マニュアル改訂のプロセスも定めておきましょう。過去の事故や教訓を踏まえて作成されているマニュアルを勝手に変更することはコンプライアンス上の問題になるだけでなく、なにより現場の安全を脅かす可能性があります。
「現場の実態に合っていないので変更したい」
「マニュアル作成時から状況が変わっている」
といった理由でマニュアルを常に最新状態にしておくことは大切なこと。ただし、その変更が不必要なリスクを背負わないよう、マニュアル改訂のプロセスは必要な関係者を巻き込んで行われるべきなのです。
日本政府厚生労働省の統計作業も、統計要員の不足や、抽出調査でも信頼度は変わらない、といった証拠を示し、総務省統計委員会等に申請を経て作業要領が変更されていればそれほど大きな問題にならなかったでしょう。マニュアル至上主義、業務手順書至上主義をおススメするわけではありませんが、マニュアルや業務手順書がなぜ存在しているのかは常に考える必要があると考えます。
この項終わり