予測可能なリスクに備えるという発想
海外での安全対策というと、多くの人が「突発的なテロや犯罪にどう対応するか」というイメージを抱きます。確かに、予測不能な事件は世界各地で発生し、完全に防ぐことはできません。しかし、企業の駐在員や出張者が直面するリスクの多くは、実は「予兆のある事象」であり、事前に把握できるものなのです。ここに危機管理の本質があります。
たとえば、選挙。日本では選挙といえば静かに投票が行われ、結果が粛々と発表される光景が一般的です。しかし、世界に目を向ければ、選挙はしばしば暴力や抗議活動を伴う「リスクイベント」となります。もう4年以上前の出来事ではありますが2021年1月、アメリカの連邦議会議事堂に群衆が乱入した事件は読者皆様の記憶に強く残っているのではないでしょうか?民主主義の象徴ともいえる国でさえ、選挙結果をめぐって暴力が発生するのです。
ましてや政治的対立が激しい国や、治安機構が脆弱な国では、選挙は暴動やテロの引き金となり得ます。中南米の国では選挙中に候補者が殺されることもありますし、選挙後の抗議活動が都市機能を麻痺させることも珍しいとは言えません。また2025年で言えばアフリカ地域では比較的治安が安定していたタンザニアでも選挙結果を巡って、集会や抗議活動が相次ぎ一時全土が混乱状態になりました。選挙が政変にまで至ると日本企業の現地事業活動への影響も避けられません。日本の選挙と世界各地の選挙は同列には語ってはいけないほど、選挙はリスクイベントだと言えます。
宗教行事も同様です。ラマダンやクリスマス、イースターなどの大規模な宗教イベントは、人々が集まりやすく、同時に過激派にとって「象徴的な攻撃対象」となりやすいものです。特にクリスマスマーケットを狙ったテロは過去にも欧州で発生しており、祝祭の華やかさ、浮かれがちな人々の気持ちが逆にリスクを高める要因となります。

さらに、国際的なスポーツ大会や博覧会などの大規模イベントも、テロや犯罪の標的になりやすいと言えます。オリンピックや万博は数年前から日程が決まっており、世界中から人が集まるため、攻撃側にとって注目度が高く、テロや襲撃を成功させれば大きく報じられる点で標的としやすい舞台設定です。ただし、こうしたイベントは突発的に決まるものではなく、数か月、場合によっては数年前から開幕日、開催期日と決まっています。つまり、企業の危機管理担当者や海外の事業を担当する方が取り組むべきは予測可能なリスクを整理し、備えることなのです。安全対策の第一歩は、未来を完全に読み解くことではなく、「予測できる範囲を確実に押さえる」ことにあります。
リスクカレンダーがもたらす効用
予測可能なリスクを把握出来たら、実際に関係者・従業員が巻き込まれる可能性を低減できないかを考えてみましょう。重要なのは「間違った場所に、間違ったタイミングでいない」という発想です。テロや犯罪の被害に遭うことは、自転車のダイヤルロックが外れる仕組みに似ています。ダイヤルロックは複数のブレードに切れ目があり、数字を揃えることで切れ目が一致し、鍵が開きます。リスクも同じで、
- リスクの高い場所
- リスクの高い時間帯
- リスクへの感覚が鈍い人
- 運が悪い
この4つの要素が揃ったときに被害が発生します。運の要素は制御できませんが、場所・時間・感覚は意図的に「数字をずらす」ことで鍵が開かないようにできるのです。つまり、予測可能なリスクを整理し、事前に避けることが安全対策の第一歩なのです。
被害に遭わないためのダイヤルロックがあるとすれば、「数字をずらす」ための実務的なツールがリスクカレンダーです。リスクカレンダーは、各国の祝祭日、宗教行事、政治イベント、大規模イベントを一覧化し、事業活動や安全対策に活用するものです。例えば、選挙と重なる出張はリモート対応に切り替える、宗教行事中の出張は避ける、大規模イベント開催地への出張は警備体制や交通状況を事前確認する──こうした判断を可能にするのがリスクカレンダーです。
さらに、リスクカレンダーは渡航者に「空間」「時間」「観察力」という三要素を意識させる効果もあります。人が密集する空間、事件が起こりやすい時間帯、そして異変を察知する観察力。これらをカレンダーと組み合わせることで、現場でのリスク回避力は格段に高まります。つまり、ダイヤルロックの数字を意図的にずらすための設計図として機能するのです。
余談ですが、リスクカレンダーを出張時に参照する癖をつけると、単に危険を避けるだけでなく、業務効率も向上します。日本のお正月やお盆をイメージしてみてください。こうした長期の休暇中は日本国内でも企業とのアポイントが取りづらく、工場視察や商談も難しくなりますよね。海外で言えば、選挙期間中は交通規制やデモで移動が困難になりスケジュールがこなせない危険性が生じますし、日本人になじみがなくても現地の宗教行事中は飲食店や公共施設が閉鎖され、無駄な時間を過ごすことにもなりかねません。現地の祝日やイベントを事前に把握しておけば、出張スケジュールの再調整や業務計画の見直しも可能になります。

海外安全.jpでは毎年翌年分のリスクカレンダーを無料公開しています。2026年版のその時点での最新版はこちらのリンクから無料でご覧いただけます。(まだ現時点で決まっていない予定も随時更新し、その時点での最新版を掲載します)ぜひ、海外事業に取り組む皆様には広く活用いただきたいと思います。
万能ではないが、必須の備え
ここで強調しておきたいのは、リスクカレンダーは万能ではないということです。予測できない突発的な事件は世界各地で起こり得ます。過激派の突発的な犯行、個人的な怨恨による犯罪、自然災害──これらはカレンダーでは予測できません。
しかし、それでもリスクカレンダーは必須です。なぜなら、予測できるリスクを低減し、事前に回避するためには、カレンダーを作成し活用することが不可欠だからです。突発的な危機に備える力を高めるためにも、まずは予測できるリスクに対して確実に備えることが、企業の危機管理レベルを一段引き上げる最も実務的な一歩となります。安全対策というと「起きてからどうするか」に意識が向きがちですが、企業の危機管理において最も重要なのは「起きる前にどう備えるか」です。リスクカレンダーを利用し、「いつ、どこで、何が起こりそうか」を整理することで、企業としての判断力と対応力を高めることができます。そして万が一何かあった場合でも、組織としてリスクカレンダーを作り、海外渡航者との意思疎通にも活用していたことが証明できれば、安全配慮義務を満たそうとしていたことは示せます。
海外に人を送り出す企業、グローバルに事業を展開する団体、そしてその安全を担う担当者の皆さんにとって、リスクカレンダーは予測可能なリスクに備えるための最も実務的なツールです。2026年を迎える今、ぜひ一度、自社の安全管理体制に「カレンダーの視点」を取り入れてみてください。
2026年版リスクカレンダー(無料ダウンロード可)
もし、皆さんの企業・団体で特定の国に対するより詳細なリスクカレンダーが欲しい、という場合には当方お問合せ窓口からコンサルティングのご相談をお願いします。オンラインないし対面で、皆様の海外展開状況を把握し、適切なカスタマイズをさせていただきます。
この項終わり






