事案の概要
〇2025年4月22日インド北西部カシミール地方の観光地パハルガム近郊で武装集団が観光客を襲撃し26名が死亡、20人以上が負傷
〇死亡者のうち25名は観光客であり、1名はポニーを連れ荷物を運ぶ観光事業者だったことが発表されている
〇死亡した被害者の中にはネパールから同地を訪問していた外国人観光客も含まれていた
〇テロの実行犯は観光地に集まっていた一団を襲撃した際、イスラム教聖典の一節を暗唱させることでイスラム教徒と非イスラム教徒を判別し、非イスラム教徒だけを殺害した
〇殺害された被害者は全員男性であり、女性と子供の被害者は事件初期の無差別銃撃の際の負傷者のみであった
〇このため死亡した被害者のうち24名はヒンズー教徒、1名はキリスト教徒だった。(残る1名はイスラム教徒の観光事業者。襲撃を止めようとした際に銃撃された模様)
〇襲撃者らが使用したのはM4カービン銃及びAK47であり、インド、パキスタン双方が領有権を主張する地域では広く使われている武器。
〇本事案発生から短時間で「カシミール抵抗勢力」(TRF=The Resistance Front)が犯行声明を発表
〇TRFはパキスタンを拠点としてインド国内でムンバイ同時多発テロを主導したとされているラシュカレ・トイバ(LeT)との関連が指摘されている
〇本事案を受けインド政府はパキスタンが国家的に本事案に関与していると非難し、印パ陸路国境の封鎖、外交官及びインド国内滞在パキスタン人の一部追放等の措置を発表
〇両国間で合意済みであり、両国の農業や水力発電利益配分に深くかかわる「インダス川水資源条約」の即日停止も発表
〇パキスタン側も印パ間の陸路国境検問所を一時封鎖した他、貿易を停止するなどの措置を発表
〇カシミール地方の印パ両軍も連日銃撃戦を行うなど軍事的にも緊張が高まっている(本事案がなくとも同地域では断続的に銃撃戦は行われている点に注意)
簡易分析
本事案はインドとパキスタンの長年の領土係争が続いている地域のうち、インド支配領域内の観光地であるパハルガムで発生した大規模なテロ事案と言えます。事件が発生したパハルガムは高原地帯の川沿いに位置し、避暑地としてインド国内の旅行先として人気の土地柄でした。年間350万人が訪れると言われるパハルガムの近郊で、車両が利用できず速やかな救援が見込めない山間の草原地帯で武装勢力が突然観光客らの一団に銃撃を加えテロ事案が始まったとされています。
カシミール地域は、もともとイスラム教徒住民が多数派で居住していたもののインドとパキスタンの分離以降当時の支配者層がヒンズー教徒であったことからインド側への帰属を求めたことで、長年対立が続いています。このため、領土係争は現在もインド・パキスタン両国の紛争の火種の一つとなっています。また、インド政府は2019年カシミール地方の自治権をはく奪し、70年以上認めてきたイスラム教徒らによる自治を配ししていることも直近の同地域での緊張を高める要因になっていると思われます。
本件を実行したとされるイスラム系武装勢力TRFは犯行声明尾を通じてイスラム教徒が長年迫害されていること、またインドの支配下でヒンズー教徒の人口が増えイスラム教徒の不利益が増加していることを背景に犯行声明を発表したが、26日になってインド政府の工作員が同勢力に罪をなすりつけるため「自作自演を行った」旨の発表を行ったとの情報もあり、真の実行犯は不明確である。ただし、各種証拠から本件がイスラム教武装勢力による実行である可能性が高いと考えられている。TRFは2008年インド西部ムンバイ市内の高級ホテル等を含む多数の場所で同時多発テロを実行したLeTとの関係が深いとされており、実質的にはLeTの指導者とみられているハフィーズ・サイードによる指示で本件が実行された可能性も否定しきれない。ハフィーズ・サイードはパキスタン国内で生活しており、貧困者への支援などを行うことから地元では一定の支持を得ている宗教家・実業家とされています。
本件テロが発生した日は、バンス副大統領がインドを訪問中であること、またインド連邦政府のモディ首相もサウジアラビアを訪問中だったことから、インド政府の反応が迅速にならないことを想定して実行日を選定していた可能性も考えられます。パハルガム一帯の中でも交通の便のよい市内ではなく、市内からやや離れた、車両でのアクセスが困難で徒歩あるいはロバ等でなければ移動できない場所で実行されたこともインド側の初動を遅らせることを意図していたものと想定されます。さらに、殺害された被害者の属性やその選定方法を踏まえても、非イスラム教徒だけを狙い撃ちにしていることは明確であり、本事案を立案・実行指示した側がある程度しっかりとした計画を練り、実行犯も訓練を受けた状態でテロが実行されていることが強く示唆されます。
本事案へのパキスタン政府あるいは軍の関与は不明であり、また今後捜査が進展したとしても関与を示す証拠は出てきにくいと思われます。他方で、本件をきっかけとしてインド・パキスタンの対立が短期的にはもちろん、中長期的にも深まることはほぼ間違いありません。弊社の顧客向け定例ミーティング等では世界全体が米国トランプ政権の政策に翻弄される中、ウクライナ/ロシア、イスラエル/パレスチナを除く注目が薄くなる「空白地帯」で各勢力のひそかな勢力拡大行為がおこりえると解説してきました。特に注意を要すると指摘していたのがインド・パキスタン・中国・アフガニスタン等が実利を巡って陰に陽に衝突しているこのエリアでした。
4月28日にはパキスタン第二の都市ラホールとインド西部の拠点都市アムリトサルを結ぶ国境、ワガーボーダーが二日限定で越境再開するなど両国間の緊張緩和に向けた対話、条件交渉は間違いなく続いています。他方で、軍事的、外交的な緊張は過去20年間で最も高いレベルまで高まる可能性もあり得ます。2002年には日本政府外務省がインド・パキスタンに滞在中の日本人を政府チャーター機も活用して国外に退避させた経緯もあり、両国滞在中の方は最新の両国間情報に注意しつつ、必要な備えを講じることをおススメします。