安全対策措置を緩和するタイミング~実践編~

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新型コロナウイルス感染症を巡る状況

新型コロナウイルス感染症に伴う世界的な移動制限、活動自粛が続いています。日本政府外務省が設定する「感染症危険情報」もほとんどの国・地域が濃い紫のままとなっていますね。

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2020年10月22日時点での日本政府外務省「感染症危険情報」

その一方で、シンガポール、ベトナムや韓国、中国等感染拡大が抑え込めてきている国とはビジネス目的の往来を再開しようという動きも始まっています。読者の皆様が所属されている企業・団体でも海外渡航の再開、海外事業の正常化などが議論され始めているのではないでしょうか。

 

日本のメディアで報道されているヘッドラインだけを見ていると、ヨーロッパやアメリカ、インドなどで感染者数が非常に多く、「第二波」への警戒が必要であると強い印象が残ります。ただし、感染者数が増えていているヨーロッパでもこれまでのところ死者数は4月の約5分の1に留まっています。

WHOのクルーゲ欧州担当局長もインタビューの中で以下のように回答しています。

“Although we record two to three times more cases per day compared to the April peak, we still observe five times fewer deaths. The doubling time in hospital admissions is still two to three times longer,” he said, adding “in the meantime, the virus has not changed; it has not become more nor less dangerous.” 

“These figures say that the epidemiological curve rebound is so far higher, but the slope is lower and less fatal for now. But it has the realistic potential to worsen drastically if the disease spreads back into older age cohorts after more indoor social contacts across generations,” 

要点を日本語訳すると概ね以下のようになります。

・4月に比べ欧州でのコロナウイルス感染者数は2~3倍になっているが、死者数は当時の5分の1

・入院患者の増加ペースも2~3倍遅くなっている。

・ウイルス自体の危険性は大きく変化はしていない

・こうした統計は流行の再発を示しているものの、今のところ(新型コロナウイルス感染症は)致死的な疾病ではないと言える

・ただし屋内での接触が増え、高齢者にも感染が再拡大すると今後重症患者が急激に増える可能性は否定できない

 

感染の拡大、「第二波」が発生していると言われるヨーロッパでも現時点では死亡者数が低く抑えられている現状、そろそろ海外の事業活動を再開/規模回復してもいいのではないか。まして、感染者数がヨーロッパほど増えていない国であれば駐在者を戻したり、出張をさせてもいいのではないか?というご意見が聞こえてきそうです。

 

あくまで当サイトの見解ではありますが、業務上必要性が高いのであれば海外駐在や海外出張を一律禁止する状況ではないと考えます。外務省による感染症危険情報が引き下げられる国であればなおさらです。ただし、ワクチンや特効薬、効果の高い治療法が確立されていない中で、企業・団体として渡航再開を決断してよいのか、という課題は残るでしょう。

過去、一定期間にわたって、安全対策のレベルを引き上げざるを得なかった別の事例も振り返ってみましょう。

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2019年香港中心部での反政府デモを巡る経緯

日本から近く、大きなビジネスチャンスがある場所、香港には多くの日本企業が拠点を持っています。必然的に日本人の駐在者も非常に多く、同居されているご家族も多いでしょう。観光名所もあればグルメ、ショッピングにも適しており、一般の観光客も多く訪れる場所でもあります。

 

その香港では2019年6月中旬から大規模な民衆デモが継続的に発生しており、一時はかなり混乱が生じました。日本でも大きく報道されましたが、デモに参加する人数が増える土日を中心に市内中心部や公共交通機関の駅等で治安当局との衝突が発生し、警察が実弾を発砲したとの報道もありましたね。

2019年8月25日警察が実弾を発砲した現場付近でのデモの様子

香港の民衆デモに関し、2019年6月~9月頃までの流れを簡単に振り返ってみましょう。

2019年6月9日:主催者発表で100万人参加の民衆デモ

(「逃亡犯罪人条例改正案」反対デモ)

2019年6月12日:デモ隊と治安当局が初めて暴力的な衝突

2019年6月16日:主催者発表で200万人参加の民衆デモ

2019年7月11日:デモ隊の一部が香港立法会(国会議事堂)に突入し施設を破壊

2019年7月21日:正体不明の集団が地下鉄駅でデモ隊及び一般市民に対し暴行

2019年8月12日:デモ隊が香港国際空港を占拠し空港が一時機能停止

2019年8月18日:主催者発表で170万人参加の民衆デモ

(民主化を求める5大要求デモ)

2019年8月25日:デモ隊に対する警告として警官が実弾を上空に発砲

2019年9月4日:香港行政長官が「逃亡犯罪人条例改正案」の正式な撤回を表明

2019年9月8日:再度の大規模デモ実施。催涙弾等が使用される

 

9月4日の時点で、当初デモ隊が要求していた「逃亡犯罪人条例改正案」撤回は正式に実現しました。一般的にはデモ隊が目的をある程度達するとデモが下火になるのですが、この状況下では香港行政府の方針転換は「安心材料」とは言い切れないのが実態です。事実9月8日にも大規模なデモが香港市内中心部で行われており、警察が催涙弾を放つ様子が報道されています。

 

デモが頻発し始めた7月、日・米・英・豪の各国政府は順次香港に対するトラベルアドバイス上、リスクレベルを引き上げていますが、9月4日の条例改正案撤回を受けてリスクレベルを下げた国はありませんでした。前回ご説明した通り、安全対策措置を緩和するのは各国政府と言えども簡単なことではないようです。

 

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「安心材料」と安全対策措置の緩和の関係

香港の例を詳しくご説明したのは、香港に拠点を持つ多くの日本企業関係者の皆様の間であるお悩みをよく伺っていたからです。

 

 「3か月近くも外出制限等普段と違う安全対策措置を続けているけどそろそろ何とかならないの?」

 

ごもっとも。

 

人間というのは不思議なもので、当初は「明らかに異常事態」だと思っていても、その状態がある程度続くと慣れが生じてくるのです。そして異常事態に慣れてくると、安全対策上の判断基準が「異常事態が発生している状況」になってしまう傾向にあります。安全上の異常事態が発生しはじめた時は、現地駐在者も緊張感が高まっていますので、外出時間の制限や立ち寄り禁止場所など細かい行動制限があってもやむを得ないと感じるのです。しかしながら、慣れが生じてくると、異常事態と言ってもほぼ毎日のことなのでそろそろ自由に移動させて欲しい、という欲求が出てくるのだと思います。

 

じりじりと不満がたまっている時期に香港行政府がデモ隊の要求を一部であれ認めたのですから、緊張感の緩和を期待して行動制限の解除を実現したいという気持ちも高まっているように思います。が、「安心材料」が一つ出たからと言って、高めている警戒を緩めてよいかと言われるとそれは別問題です。

 

例えば、武力衝突が続いている地域ではよく「停戦合意(cease fire agreement)」が結ばれることがあります。が、数時間から数日で合意を破った武力行使が行われることもしばしば。現在進行形で軍事的緊張が高まり、複数回にわたり停戦合意が破られているアゼルバイジャンとアルメニアの関係は典型的な例です。停戦合意そのものは治安の安定と安全対策措置の緩和にポジティブな要素であることは間違いありません。しかしながら、「安心材料」が出たからと言ってすぐに状況が改善するとも限らないですし、その安心できる状況が続くとも限りません。

2018年6月の南スーダンでの「停戦合意」は数時間で破られた (NYタイムズのニュースサイトよりキャプチャ)

現に香港では9月4日に「逃亡犯罪人条例改正案」を正式に撤回した後の9月7日、8日にもデモが行われています。特に中環駅(セントラル)周辺での暴力的衝突が激しく、多くの逮捕者も出ています。デモ隊が要求していた条例改正案を撤回したことは一つの「安心材料」でしたが、決して安全対策措置を緩和するほどの状況改善にはつながっていないことがよくわかります。

 

2020年に世界的流行となった新型コロナウイルス感染症についても、死者数の増加ペースが若干下がってきているのは「安心材料」かもしれません。一部の国・地域と日本との間でビジネス往来が認められるようになったことも「安心材料」と言えるでしょう。しかしながら、効果的な予防接種や発症後の特効薬が開発されたわけではなく、そもそもウイルスの詳細な性質、重症化するメカニズムなどは依然謎のままです。

 

しかしながら、既に経済紙等で多く指摘されているように、完全にウイルスの脅威が去るまで日常生活・経済活動・企業の事業展開を止めていては生きていけないという事情もあります。「安心材料」がいくつか出始めた時点で考えるべきはどのようにすればリスクをコントロールしながら安全対策措置を緩和することが可能なのか、という点でしょう。

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安全対策措置を緩和する要素

では、どういう場合に安全対策措置が緩和できるのでしょうか?

結論からお伝えすると

 

1)日本政府外務省/現地大使館の情勢判断

2)安全対策措置を強化した要因の解消/持続的な改善

3)現地治安当局の対応強化

4)安全対策措置を緩和する条件、再強化する条件の確認

(参考程度に5)他国や各種国際機関、他企業等の安全対策措置の確認)

 

が当サイトとして安全対策措置を緩和する際に確認をおススメしている要素です。

 

具体的に、特に1)は日本政府外務省のたびレジや在留者向けメールで簡単に確認できます。日本人、日本企業の安全を政府として守る役割を担っている外務省の情報は最初に参考にすべき要素としてご確認下さい。

次に重要なのが2)と3)。安全対策措置の緩和を検討している地域の治安が安定している証拠(テロ・犯罪発生率、現地治安当局の警備状況等)を現地報道や現地企業パートナー等からの聞き取りを通じて確認してみてください。

 

実際に日本政府外務省も各地の危険情報を引き下げる際には上記2)や3)を十分検討しています。具体的に日本政府外務省が危険情報を引き下げる際の根拠文章を二つご紹介します。

2019年8月スリランカの危険情報を引き下げる際の外務省判断理由
2019年9月スーダンの一部地域に対する危険情報を引き下げる際の外務省判断理由

 

いずれもリスク要因が下がったことや治安当局の取り組み強化が持続的に確認されていることが明記されていますね。民間企業・団体の皆様もぜひとも2)や3)に関する情報を意識して集めるようにしてみてください。そうすれば、安全対策措置を引き上げたまま引き下げられなくなる、という状況は避けられるはずです。

 

加えて、上記二つの日本政府外務省メールには共通して改善した治安が再度悪化する可能性があるとすればどんなシナリオなのか、も記載されています。安全対策措置を緩和した直後に万が一何か非常事態が発生したら・・・という懸念は外交のプロであり、民間企業・団体とは比べ物にならない情報網を持っている外務省・大使館ですら拭い去ることはできません。100%の安全を保証できるものではない以上、今後状況が悪化した場合には、どういった対応を講じるのか(安全対策措置を再度強化するとすれば、どういった条件とするか)などはある程度検討しておくことが必要なのです。

 

また、新型コロナウイルス感染症について言えば、単に渡航先の国・地域の流行が収まっているからというだけで安全と判断するには時期尚早です。世界的には依然感染が拡大傾向にあるわけですから、感染した場合の対応策は当然調査しておくべきでしょう。加えて、今回のパンデミックでは多くの国で経済封鎖(ロックダウン)等に伴い生計が苦しい人の数も増えています。

そういった状況下で一般犯罪が増えていないか、政治的に不安定な状況が発生していないか、等感染症を起点とする影響を精査した上で渡航再開の判断、再開する場合の安全対策を検討されるようおススメしています。そして新型コロナウイルス感染症の感染状況が悪化した場合や、直接的・間接的に治安や政治情勢が悪化した場合に再度関係者を日本に退避させるといった判断基準を想定しておくことも推奨しています。

この項終わり