「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」
なぜ、そこにあるにも関わらず、見えないという現象が起こるのでしょうか?実はこうした現象はかなり古くから指摘されていました。尾崎が知る限り、現在から約2100年前に記された書物に似たようなことが書かれているのです。
その書物を著したのは古代ローマ帝国時代の最高権力者だったガイウス・ユリウス・カエサル。彼が直接書き残したと言われる『ガリア戦記』の中にこんな言葉があります。
ufere libenter homines id, quod volunt, credunt.
「ほとんどの場合、人間たちは、自分が望んでいることを喜んで信じる」
(ガリア戦記第3巻 18章)
このラテン語の言葉を塩野七生さんは文脈も踏まえ、若干の補足を加えて次のように訳しています。
人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。
多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。
現実のすべてが見えるわけではなく、自分が見たいと思うように、ありのままではない現実を作り上げてしまうことが多いという意味合いになっていますね。
これだけ読み継がれている古典ですから、やはり人間の特性を的確に捉えた表現なのでしょう。多くの場合、人間は思い込み、先入観を持っています。
探し物なら、「この辺にあるはずだ」
コミュニケーションなら、「あの人はわかっているはずだ」
安全対策なら、「ここなら(いまなら)安全なはずだ」
などなど。時としてそういった思い込みは現実をありのままに見ることを妨げます。このため、気が付けば、本来ある物が目に入ってこないという事態が発生するのではないでしょうか。カエサルの言葉はこの現象を端的に表現した至言に思えてなりません。
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