認識していないリスクは避けられない
さて、こうした現実をありのままに見られない人間の性質は、時として自分の身に降りかかる危険を見過ごすことにもつながります。
2019年5月に発生し、幼い命が奪われてしまった交通事故では、原因となった車両の運転手が
「対向車にぶつかるまで、対向車が来ていることに気づかなかった」
と発言していると報じられています。
尾崎は交通事故の専門家ではありませんが、この証言を聞く限り、事故の一因として「そこにある物が思い込みによって見えなくなってしまった」現象があるように思えてなりません。現実をありのままに見ることはことほどかように難しいのでしょうね。
加害者にならないためにも、そして何より自分自身が被害者にならないためにも、自分が意識できていない(あえて意識から消している)リスクもあるのだ、ということは頭の片隅で覚えておく必要があるのでしょう。
これは尾崎自身が自転車で転倒したケースにも当てはまります。いつもこの辺りに通行人は少ないし、車も少ないという思い込みが自身のケガにつながったのですから。
もう一つ事例を挙げてみましょう。断崖絶壁を背にスマホで自撮りをしようとして転落死する方が後を絶たないのも似たような現象ですね。自分は大丈夫だ、いいね!がたくさんもらえそうな写真が撮れる!という考えばかり先行して転落リスクをあまりにも軽く見すぎているが故の不幸な死に方と言えるのではないでしょうか?
頭の片隅にすら存在しないリスクは他の人から見て「危ないなあ」と思うような行為であってもリスクとして捉えることは難しいのです。なぜなら本人にはそのリスクが見えておらず、存在しないのと同じだからです。
自分は大丈夫、
ここは大丈夫、
いまなら大丈夫、
と考えていると実際には存在リスクを見落とす可能性があります。
その都度
自分は大丈夫か?
ここは大丈夫か?
今は大丈夫か?
と極力客観的にリスクの有無を確認することではじめて、ありのままにリスクを評価できるのかもしれません。
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