オウム真理教 地下鉄サリン事件を振り返る

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現代日本における「組織的テロ」

 

皆さんもご存じの通り、先週オウム真理教の教祖であり、また一連のテロ事件の計画を指揮していた麻原彰晃(本名:松本智津夫)への死刑が執行されました。死刑の是非や各種テロ事件の真相究明への取り組みが十分だったか、といった議論は専門家に任せるとして、このページでは「組織的テロ」が日本でも発生したということに注目しましょう。

 

 

「テロ」という言葉が日本人の口からよく出るようになって久しいですが、ほとんどの日本人にとって、

 

「テロ」=危険な外国の出来事

と理解しているのではないでしょうか?

 

世界中のテロ事件件数をカウントすれば、日本で発生しているテロ事件に比べてイラクやアフガニスタン、もしくはフランス、イギリスなどで発生しているテロ件数のほうが圧倒的に多いのは事実です。ただ、日本でもテロ、それも組織的に計画され、標的を定め、実行された「組織的テロ」が発生していることを忘れてはいけません。

 

1970年代であれば、東アジア反日武装戦線による連続企業爆破事件、そして直近の事件が1990年代のオウム真理教による一連のテロ事件と言えるでしょう。

 

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我々が地下鉄サリン事件から学ぶべき3つのこと

オウム真理教が引き起こした一連のテロ事件の中でも規模や実行までの準備において特筆すべきは1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件です。3つの地下鉄路線内(5つの列車)で同時多発的に毒ガスのサリンを用いた化学攻撃を実行、被害者総数は6000人を越え、死者も13名に上りました。

オウム真理教というヨガ団体を母体とするグループが大量の毒ガスを準備し、ひそかに東京都に運び込み、複数の実行犯が同時にガスを散布して逃走する、という組織的テロの教科書に載るような事件を引き起こすまでになったのです。

 

尾崎がこの事件から学ぶべきと考えているのは以下の三点です。

 ・テロは過去の経験や常識を超えて発生するため被害が拡大する

 ・テロ実行グループに所属する一人一人は思った以上に普通の人が多い

 ・個人でテロの発生を防ぐことは不可能に近いが、被害を軽くすることはできる

 

地下鉄サリン事件が発生した後にそれまで無防備に設置されていたゴミ箱の設置方針が見直されたことや、化学兵器が用いられた際の救助の在り方が再検討されたこと、など、事件後多くの課題が浮き彫りになりました。「過去の経験」に従って対応していても防げない、事後対応が十分とならない、だからこそ想定をはるかに超えて(死傷者数で6000名以上)被害が出たのでしょう。

 

また、多数のジャーナリスト、ノンフィクション作家等の方が書籍にされていますが、オウム真理教に所属していた人間も貧困にあえいでやむに已まれず・・・、や前科多数でまともな人生を生きていなかった・・・、といった実行犯はほとんど見当たりません。むしろ国内でも一流とされる大学を卒業し、コミュニケーション能力が高い人間も多かったのです。別の企業・団体に所属していれば、もっと別の道もあったかもしれません。

恵まれない環境や個人の意思や努力とは別の要因でテロリストになるのではなく、普通の人がテロリストに変貌してしまう、そんな背景もあることが浮き彫りになった事案とも言えるでしょう。尾崎はテロに対し断固として反対ですが、そのテロを実行する人間がテロ実行犯になるまでの経緯、社会全体の雰囲気なども研究の対象とする必要があると感じています。

 

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テロを根絶することは不可能だが・・・

 

最後は個人レベルでの取り組みが可能な話題です。

テロリストの背景が複雑化し、また予想を超える被害が出かねない現代のテロ。すべてのテロを発生源から断つことは不可能ですが、最後の最後、自分が被害に逢うかどうか、のレベルでは回避策があることもまたサリン事件ではっきりしました。

 

その回避策とは、

 

「異常事態を感じたら、過敏でもよいので異常から距離を取りましょう」

 

ということ。

 

地下鉄サリン事件が発生した3月20日、関東地方は雲は出ていたものの晴天でした。急に雨が降り出した時ならまだしも、晴れている時にコンビニ等で急遽売り出されるようなビニール傘を持って挙動不審な男がいたらどうしますか?その足元をよく見ると、ビジネス鞄でもカジュアルバッグでもなく、液体のような物質の入ったビニール袋が置いてあります。

 

この状態を「異常事態」「なにか気持ち悪い」と感じられた方は、隣の車両に移動したり、次の列車に乗り換えたり、という対応ができたかもしれません。少なくともスマホに夢中で、周囲の状況に一切注意していない、という方に比べれば多少被害を軽くできたかもしれません(95年当時スマホはありませんでしたが)。

 

テロを根絶することは社会的に必要な行動です。また、法で認められた範囲で事前にテロリストを摘発する、テロ行為の準備段階で武器弾薬等を押収するのは治安当局の責務です。しかしながら、どうしてもすべてのテロを防ぐことはできません。まして、テロリストが普通の人であり、その動機や標的など、これまでの経験が通じないものが増えてきている今、政府や治安当局がすべてのテロを防ぐことは不可能と言ってもいいでしょう。

 

では、何をしなければいけないか。

テロの発生を完全には防げないのであれば、テロの被害を個人レベルで被らないように工夫するしかありません。普段我々が使う地下鉄という舞台でテロ事件が発生した、地下鉄サリン事件から、今こそ我々が主体的にテロに警戒し、自衛のために必要な知識、回避行動を学ぶべきではないでしょうか?

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