安全対策担当者という立場
代表の尾崎です。
新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い、全世界的に影響が広がっています。日本政府外務省は全ての国・地域に対し感染症危険情報を発出し、日本人には帰国を検討するよう呼びかけています。当サイトでも特設ページを設け関連の情報を取りまとめています。
企業や団体で人事や安全管理を担当される方は連日世界各地からの関係者帰国便の手配や、現地残留者の心身のケア、必要物品の調達・配送に奔走されているのではないでしょうか?日本国内ですら先の見えない状況ですので、日本以上に厳格な封鎖が続き、物資も手に入りにくい状況で海外駐在者や出張者の支援を続けることは並大抵の努力ではできません。現実に担当されている方には心から敬意を表します。
さて、本日は日頃取り上げている安全対策のノウハウとはちょっと毛色の違う話をしたいと思います。テーマは安全対策担当者の精神面のケア。
実は安全対策担当者という立場は、非常に酷なものです。企業や団体に所属する仲間の命を守るという点で、重要ではあるのですが、その実態はなかなか理解されません。何をやればいいのかお手本もマニュアルも少ない上に、どんな情報を信じればいいのかもよくわかりません。その上、組織内でも孤立しがちという性質もあるのです。
組織としての安全対策を強化する業務を具体的にイメージしてみましょう。安全を守るためにはある程度
「こういうことはやらないでください」
「危険なのでこのエリアから外には出ないでください」
「安全確認ができないので、そのプロジェクトを進めることに同意できません」
などなど、ブレーキを踏む役目を担わなければならないのです。このため利益を上げたい営業部門や自由に移動したい海外駐在者などからクレームが来ることもしばしば。企業であれば利益を上げるという大目標があるため、たいていの場合声が大きいのは営業部門であり、海外駐在者でしょう。また、株主等からの視線を集める経営層も安全管理を担当する方を除けば利益優先、事業活動優先で物事を考えがちです。このため、どうしても安全対策担当者というのは「弱小牽制部門」になりがちなのです。
褒められることは稀なのに、何かあると怒られる
改めて考えてみてください。海外での安全対策を担当するということはどういうことでしょうか?
大前提となるのは、安全対策は何も非常事態が起こった後に行うものではないということです。非常事態が発生し、関係者が死傷してから対応を始めいては手遅れもいいところですよね。万が一起こってしまった場合の対応も当然安全対策部門、安全対策担当者のお仕事ではあるのですが、そういった業務が日々発生するという状況はさすがにあり得ません。
ですので、安全対策担当を担う人の最大の役割は自社の関係者に対し、「何も起こらない」ことを守ることが最大のミッションということになります。いわば大規模停電を起こさないように電力網を守る電力会社、事故や欠航がないように電車や航空機を動かす交通機関にも似ています。生活インフラも公共交通機関も何のトラブルもなく、スムーズに使えることが当たり前。そしてその当たり前を守ることそのものが大事な仕事なのです。
安全対策の仕事も当たり前を守る業務の一つです。そして、この種の業務は得てして、爆発的に評価が上がる目立つ成果はありません。特別なことは「何もおこらない」が理想的な状態ですので野球選手でいう「逆転満塁ホームラン」や企業活動でいうところの「超大型M&A」には無縁なのです。
ただ、唯一目立つ時があるとすれば、それは「何も起こらない」状態が維持できなくなった時。つまり事故が発生してしまった時です。この時は大規模停電が起こってしまった電力会社や長時間電車が動かなくなった時の電鉄会社同様、批判が集中します。(そういう会社のみなさんは日ごろお礼を言われることなどほとんどないのですが・・・)
そう、安全対策に関する業務はまさに
・評価には天井がある(滅多なことでは褒められない)
・「当たり前」が維持できなかった場合、無制限の批判を受ける可能性がある
という性質を有しているのです。
もう一つはっきりしていることは、自分の責任で発生したわけではない緊急事態にも昼夜を徹して対応しなければならないということ。直近話題になっている新型コロナウイルス感染症の場合、日本政府あるいは各企業・団体で海外の日本人を守ろうと奔走されている方は誰一人として緊急事態の原因に関与していません。大規模な自然災害や国家間の戦争も同様に、日本国内の担当者に責があるケースはまずありません。
それでも、何か起こってしまった場合には、必然的に安全対策を担当する方が昼夜を徹して対応せざるを得なくなります。たまたま非常事態が発生した際にそのポストにいただけ、であってもです。
安全対策担当者のメンタルケアができるのは経営層だけ
安全対策担当者は現場では四面楚歌になりがち。その上、滅多なことでは褒められることはなく、万が一何かあったら「何やってたんだ!」と批判が集中する。自分に責のない自然災害や感染症、大規模な戦争といった事態でも情報が不足していたり、結果的に対応がまずかった場合も「なんでできないんだ!」と批判される。
そしていざ対応が始まると、連日連夜何らかの連絡が来れば対応しなければならず、集まってくる(集めなければならない)情報は人が死んだ、ケガしたというニュースがほとんど。
どんなお仕事も何かしらご苦労があるとは思いますが、安全対策担当者の気苦労は別格だと感じています。安らかではない他人の死亡情報を集めるという点だけでも精神的な負担は極めて大きいのではないでしょうか?葬儀屋さんや政治家の秘書も毎日どなたかの死亡情報には接していますが、日本の場合テロや殺人、交通事故等悲惨な死亡情報は少ないでしょう。唯一一部警察官は悲惨な現場を連日体験するかもしれませんが、彼らはそういった職業を選んだ方であり、またそのための訓練を十分に受けている方です。
(アメリカでの研究によると、緊急対応電話である911の電話オペレータの方は強い精神的ストレスを感じており、PTSD発症とも相関がある、とのデータもあります。プロとして採用され、トレーニングされた方でも精神面の負担は大きいことが伺い知れますね)
翻って、企業や団体の安全対策担当者はどうでしょうか?たいていの場合、総務部門や人事部門、もしくは海外事業部の一部の方が安全対策も担当されているケースがほとんど。つまり、悲惨な現場を経験する覚悟で仕事を選ばれた方でもなく、肉体的・精神的な強い緊張に耐えるための特別な訓練を受けているわけでもないのです。尾崎のような変人・奇人は別として、一般の日本人の方が長く安全対策担当者を務めるのは容易ではないように思うのです。
こういった状況で救いがあるとすれば、経営層による安全対策担当者への評価でしょう。会社・団体の多くの方とは圧倒的に異なる環境の中で「当たり前」を維持してくれている方への感謝としかるべき待遇を用意していただけるといいなぁと感じています。
賃金のような報酬で報いることが難しいのであれば、せめてメンタルケアの体制を整える、もしくは特別な休暇制度を用意できないものでしょうか?安全対策担当者の方々は関係者になんの被害も発生しない、という「当たり前」を維持するだけで疲弊してしまいかねない立場です。その上、万が一関係者がテロや襲撃に巻き込まれ、関係者が死亡してしまった場合、十分な対応が可能でしょうか?
尾崎が海外で緊急事態に巻き込まれた立場だとしましょう。かろうじて生きているけれども、本社・本部の助けが必要だ!という状況です。しかしながら、たとえ安全対策担当と名前がついていても、日々の業務でヘロヘロになっている方々に自分の命を預けたいとは思いません。
万が一の際には全力で動き出せるような安全対策部門であるためにも、日頃から安全対策担当者の方への精神的な支援を忘れずに行っていただきたいと願っています。
この項終わり