『違和感』はいつもとの違いから生まれる
「これまで見たことのない出来事が発生していないか」
「いつもと何か雰囲気の違いがないか」
「その場にあるとおかしなモノがないか」
「明らかに場の空気になじんでいない人がいないか」
といった違いを感じたことはないでしょうか?もしかしたらそれは危機のサインだったかもしれません。
外見上変なモノや気味の悪い人を目にしたとしても、それがいつもそこにあったり、何らかのイベントがある日にそういう人が大勢集まっていたらどうでしょうか?その場に存在する理由があるのであれば、たとえぱっと見で危なっかしいものでも必要なモノだったり、何かを楽しむ一般人だったりするかもしれません。
ある日突然ガンダムの模型が展示されていたとしても、それはあくまでプロモーション用であろう、ということは推測できますよね。新しいアイドルのコンサートが開催される時には見慣れないファンが思い思いの「推し」衣装で皆様の日常生活圏を通るかもしれません。が、同じような人がたくさんいればこれは何かのイベントなんだろうな、くらいに思っておかないと生活が窮屈になってしまうでしょう。
不審という言葉の基準が個人の価値観である以上、何を不審と思うかも人それぞれ。これでは危機回避のセオリーの作りようがありません。
しかしながら、日常との違い、その場にそぐわないモノや人を意識し始めると、本当に危ないモノや人を見分けやすくなるのです。逆に言えば強い「違和感」を覚えるモノを不審物、(見た目がどうこうではなく)その場にそぐわない「違和感」を禁じ得ない人物を不審人物と定義してもいいかもしれません。
例えば、
スーツを着た男が、住宅街で長い間立っている(通勤や営業・・・ではない??)
普段見慣れない車両が工事等の理由もないのに、自宅前に止まっている(なぜ長時間止まっている??)
駅のホームに持ち主がいないカバンが長らく放置されている(持ち主はどこに??)
通勤時間帯、晴れなのに傘を持ち緊張感あふれる若者がドア付近に立っている(地下鉄サリン事件当時の様子)
など。
日常生活の中で何かがおかしい、「違和感」を感じる、という感覚を抱いたら、まず危機感を持っていただきたいのです。その危機感を否定するような材料がしばらく見つからないのであれば、その場を離れるという選択肢を持つことをおススメします。これは海外はもちろんのこと、たとえ日本であっても同じです。
(スーツで住宅街に立っている男の人のところにランドセルを持った子供が後からやってきたら、おそらく準備に戸惑った小学生をお父さんが待っていたのだろう、と推測できます。納得できる理由があれば危機感は解除しても大丈夫でしょう)
2019年に行われたG20サミット前の鉄道各社のポスターの中で、これはイイな、と感じたのは京王電鉄のポスターでした。テロ防止のためには一人一人が「いつもと何か違う」「おかしいのではないか」という感覚を持つことが大切であると明確に記載されています。当サイトでも不審なモノや不審な人物を探すよりも、いつもと違うという『違和感』を大切にすることを推奨します。
【次ページでは・・・違和感を的確に捉えるためにどうすればよいのか、捉えた後どうするか、具体的にご説明します】