パワハラ防止法義務化から考える労働環境整備の費用対効果

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4月から中小企業にも「パワハラ防止法」の適用開始

2019年5月、改正労働施策総合推進法が国会で可決されました。いわゆる「パワハラ防止法」との別名がつけられている通り、この法律によって

 

1)各企業でパワーハラスメント(優越的な関係を背景とした就業環境を害する行為)を防止すること、

2)パワハラの相談や報告を行ったことによる解雇や不当な扱いをしないこと、

 

が義務付けられています。既に大企業では2020年6月から適用が開始されており、2022年4月1日からは中小企業にも適用されることが決まっています。すなわち、上記の対応ができていない企業は規模に関わらず「違法」ということになりますね。

 

当サイトは労働環境や法律論は専門外ですので具体的な「違法」行為がどんなことなのか、そうならないために企業としてどんなことに取り組まなければならないのか、詳細には記載しません。各自治体や社会保険労務士事務所などが多数解説していますので是非こちらを検索下さい。

 

当記事で取り上げるのはパワハラ等によって万が一損害賠償請求をされた場合、企業がどの程度の補償をしなければならないのか、というお話。「パワハラ防止法」の適用に伴い、万が一企業内でのパワハラによって身体的、精神的な影響が生じ労働災害として認定された場合、企業側は損害賠償を求められる可能性があります。労働災害の場合、その程度によって必要となる補償にかなり幅がありますが、最も深刻な影響が出た場合1億円以上の賠償が必要となることも。

 

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東商新聞2022年1月1日号「パワハラ防止法のポイントと今行うべき対策」よりキャプチャ

 

「労災保険に加入しているから大丈夫」、という企業経営者の方も多いかと思いますが、東京商工会議所が発行する「東商新聞」に寄稿された記事によれば労災保険で補償額をすべて賄えるようにはなっていないことが明白です。特に等級の重い障害や死亡事案にまで発展してしまうようなパワハラ/労働災害の場合、上のグラフでもわかる通り労災保険で賄えない金額が1億円を超えるケースもあるようです。

 

すなわち、パワハラ等による労働災害発生を防ぐことは最大で一億円以上の価値があるということ。法律で定められたからしぶしぶパワハラ対策を講じます、ではなく、費用対効果を考えた上で積極的に取り組むべき課題と言えるのではないでしょうか?

 

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労働災害抑止/休業者削減は経営問題と表裏一体

「そうはいっても、パワハラや労働災害の抑止にまで手が回らない…」

 

という企業経営者の方も多いかもしれません。新型コロナウイルス感染症の影響により、これまで通りのビジネスモデルが通用しない企業、深刻な人手不足に悩まれている企業、など状況は様々だと思いますが、経営者として優先的に対応すべきは今まさに目の前で発生している問題を解決すること。日々の売り上げを確保し、何とか利益を出せるように、最低でも資金繰りだけは保てるように、というのが本音なのではないかと思います。

 

しかしながら、別の観点からパワハラや労働災害の影響を考えてみましょう。パワハラや労働災害は企業側の取り組みによって確実に減らすことができるのです。そして、パワハラや労働災害を発生させないこと、つまり労働環境を改善し従業員を保護することは日々の売り上げをあげる、人手不足を解消するためにも有効な手段の一つです。

 

具体的にこれを解説した日本経済新聞の記事がありました。過去20年間、労働災害が多く発生してきた製造業や建設業では労働災害を削減するための努力が実を結び、明確に労働災害件数が減少しているのです。その一方で、労働災害防止の意識があまり高まらなかった小売業や社会福祉施設では労働者の高齢化という条件も重なり、4日以上の休業を要する労働災害が増加傾向です。

 

製造業・建設業では各種取り組みにより発生件数が減少傾向。他方労災対策の意識が低いとされる小売業や社会福祉施設での件数が増加している(2022年2月11日日本経済新聞より引用)

 

記事本文を少しだけ引用させていただくとこのような記載があります。

経営者の安全意識の低さも指摘される。単純なミスでも致命傷につながる恐れのある製造業などと異なり、小売りの現場で起きる事故の多くは転倒や切り傷など軽微なものが多い。中央労働災害防止協会(中災防、東京・港)の竹越徹理事長は「製造業や建設業では経営と安全は不可分だが、小売業にはそうした認識が比較的薄い」と話す。

だが事故による従業員の休業は軽視できなくなってきている。帝国データバンク(東京・港)が全国1万社超から回答を得た調査によると、21年12月に小売企業で正社員人材が「不足している」と回答したのは全体の46%と「余っている」の9%を大きく上回った。

新型コロナで需給が緩んだ20年春を含めて、11年以降は一貫して「不足」が「余剰」を上回る。自動化が遅れる小売りの現場は休んだ従業員のシフトを他の人が穴埋めしなければならない。事故を減らさなければ、人手不足がさらに悪化する。

(2022年2月11日付日本経済新聞記事より引用)

この記事にもある通り、これまで労働災害=責任問題/人手不足問題、と意識せざるを得なかった業種・企業は労働災害を減らす努力を続けています。そして、上記グラフにある通り、努力は無駄になっていません。

 

他方で、今後少子高齢化がますます進み、人手不足が予想される小売業や社会福祉施設ではこれまで半ば無視可能だった労働災害が徐々に無視できなくなっていることが読み取れます。労災が発生すると、企業側の補償が増えるだけでなく、現場に慣れた労働者が4日以上休業を余儀なくされるケースが増え人繰りが困難になって売り上げにも影響しかねません。

また、人手不足であるということは、労働者が働き先を選びやすい状況であるとも言えます。労災が多い企業=労働環境が整っていない企業にはあまり求職者が集まらない、場合によっては口コミサイトやSNS等で労災頻発の「ブラック企業」と指弾されてもおかしくない時代になっています。読者の皆さんも「ブラック企業」と指摘される企業に採用希望出さないであろうことを

 

経営課題の優先順位として、売り上げの確保や人材確保がどうしても優先されるのはわかります。そして、パワハラやセクハラの防止、あるいは業務中の怪我を防ぐ取り組みは直接利益を生まないがゆえに後手に回ってしまうことも理解できます。しかしながら、時代は変化しました。従業員の欠員を防ぎ、収益機会を逃さないことと、労働環境の整備は表裏一体です。これまでと同じ費用対効果ではなくなっていることをご理解頂きたいと思います。

 

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海外事業担当者の保護は十分か?

さて、それでは当サイトの主な守備範囲に話を移しましょう。海外に従業員/関係者を派遣するにあたってその労働環境は十分整えられていますでしょうか?

 

新型コロナウイルス感染症の影響が長引く中で、海外に市場を求める企業もあろうかと思います。日本政府経済産業省も新型コロナウイルス感染症対策の事業再構築補助金の中に「グローバルV字回復枠」を設けている他、中小企業庁ではコロナウイルス感染症による影響が広がる前から「海外展開支援」を行っています。政府としても日本政府の海外展開を後押しする方針であることは間違いないと言えるでしょう。

当サイトの読者の皆様の中にも既に海外に事業展開されている企業関係者、また新しく海外への事業展開を検討している方もいらっしゃると思います。海外で事業を展開するということは、何らかの形で従業員・関係者を海外に派遣する必要があるでしょう。語学や生活環境の変化にも耐えられ、かつ日本と違う商習慣の中で市場を開拓したり、新規事業を立案・実践できる方々は皆さんの企業にとって文字通り「人財」と言える存在ではないかと思います。

 

そうした「人財」が安全に、また安心して業務に当たれるような労働環境は整えられていますか?進出先の国にもよりますが、海外では日本ではめったに起こらないような犯罪や政治不安等も多く発生しています。多くの日本人がそうしたトラブルに巻き込まれ現地の大使館や総領事館に相談しているのも統計的に明らかです。

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2020年、コロナ禍で海外に渡航する日本人が激減した中でも海外で犯罪等の被害に遭った方や精神的な不調を訴える方は多数に上る(外務省邦人援護統計よりキャプチャ

 

海外で事業展開されている企業が、現地で活躍する「人財」の労働環境整備を後回しにするのであれば結果はどうなるでしょうか?場合によっては「人財」がテロや犯罪で死傷する可能性だってあり得ます。また日本政府の統計からは異国で奮闘する日本人には心身両面での支援が必要であることもうかがえます。

海外で活躍できる「人財」はそう簡単に代わりを見つけることも困難です。労働環境を整え、サポート体制も整え、万が一事件や事故で死傷した際も雇用主として補償ができる状態にしておくこと。貴重な「人財」を逃さないことは、皆さんの海外事業展開には必須であり、そのための投資は決して費用対効果が低いとは思いません。

 

現時点で、海外に駐在・出張する従業員・関係者がいる場合にはこういう対応を講じなさい、と定めた法律やガイドラインはありません。そのため、何らかの被害が従業員・関係者に発生したとしても「◎◎法違反で訴えられる」ということにはならないと言えます。現時点で、なんらか責任が問われるとすれば「安全配慮義務」を満たしていたか、が焦点と言えるでしょう。

しかしながら、数年前まではパワハラやセクハラに関連した法律はありませんでした。それが今ではパワハラやセクハラに対応でいなければ「法律違反」です。現時点で海外で自社の従業員・関係者を守るための取り組みを進めなくてもとがめられることはありませんが、海外事業展開がより広く行われるようになれば、海外に従業員・関係者を派遣する側に何らかの義務が定められたとしても決して不思議ではないと考えています。

 

パワハラ防止法についてもいえることですが、法律が施行され、様々な取り組みが義務化されてから取り組むのでは遅いと言えます。法律の適用前に駆け込みで研修や専門的なコンサルティングを依頼しようとすると、料金は当然高くなります。また多くの企業がタイミングよく対応してもらえるかどうかもわかりません。

 

海外での事業展開を考えるのであれば、より質の高い従業員の確保は経営問題そのもの。法律による義務化を待つことなく、早めに準備を整え、安心して従業員が海外に駐在・渡航できる環境を整えること、そして万が一従業員/関係者が事件・事故に巻き込まれた場合でも賠償責任の範囲を低減できるよう最善の努力をすることが経営者側の責務といえるのではないでしょうか?

 

この項終わり