脅威を分解して評価するツール=Risk Matrix
前回のコラムでご紹介したRisk Matrixを少し詳しくご説明したいと思います。実は、このRisk Matrix、国連関係機関の安全対策を一手に担っているUNDSS(United Nations Department of Safety and Security) も活用しているツールです。特に海外進出済み、検討中の企業のご担当者様にとっては、このツールを活用することを覚えるだけでも、他企業よりも一歩上の安全対策体制が構築できますので、ぜひこのコラムをお読みいただければと思います。
Risk Matrixはご覧いただいてわかる通り、皆さんの周りに数多存在する「脅威」、あるいは皆さんに直接影響を及ぼし得る「リスク」という漠然とした概念を二つの要素に分解し、ランク付けできるようになっています。
安全対策のアドバイスを求めて来られる方からは
「なんとなく」危ない気がする、
あの国はこの種の被害が一番多いように「感じる」
とは言え、犯罪統計やテロの被害の実態を調べるのは難しいし・・・。
という声をよくお伺いします。おっしゃる通り、犯罪やテロといった治安当局の保有するデータはそう簡単に入手できるものではありません。ただ、皆さんも経営判断をされる際、正確な統計はないけれども論理的に推論を組み立て、合理的と思われる結論を導き出す、ということは日常的にやっておられるはず。その際には、推論に必要なツールとして、各種のフレームワークやフェルミ推定のような思考方法を活用されているのではないでしょうか?
このRisk Matrixは正確無比のデータがなくとも、単なる感覚を説得力ある安全対策検討材料に変換することができるツールだととらえてください。社内・組織内での安全対策の必要性や優先順位を説明する際にも有効です。
発生頻度と被害の影響度に分解、優先順位を確認しよう
さて、Risk Matrixをもう一度眺めてみてください。縦軸は発生頻度、横軸は被害の影響度になっていますね。この二つの掛け算で総合的な「リスク」を洗い出しましょうというのがこのRisk Matrixの基本的な考え方になっています。
発生頻度が高ければ、被害が発生する可能性も高まりますので、発生頻度が高いものほど皆さんへの「リスク」も高まります。
被害の影響度が大きければ、万が一事態が発生してしまった場合、関係者の人命が失われたり、資産が著しく既存したりしますので、こちらも「リスク」も高まります。
Risk Matrixでは発生頻度もしくは被害の影響度のいずれか一方ではなく、両方が高いものほど総合的な「リスク」が高くなるように設計されており、5段階での評価(Very High >High>Medium>Low>Very Low)が導き出せるようになっています。
安全対策にかけられるコストは皆さんご自身もしくは所属団体の予算上限られているはずです。また、対策に必要な検討時間やマンパワーも通常制約があるでしょう。このRisk Matrixは発生頻度と被害の影響度を掛け合わせることで、総合的な「リスク」が見えてくるという利点があります。このため、限られた安全対策リソースをより総合的な「リスク」の高い順に割り当てたい、というニーズを満たすことができるのです。
例えば、発生頻度が多いけれども、ほとんどのケースで人命に影響がないような一般犯罪(置き引きやひったくり等)の場合は、
「最低限の注意をするけれども事件に巻き込まれた場合、無抵抗でやり過ごす」
という結論で済ませることもやむを得ません。
また、発生頻度が著しく低いけれども、万が一発生した際には大きな被害が発生する場合、
「予算的にも時間的にも手が回らないので、対策を後回しにしよう」
という判断もまたやむを得ないでしょう。
安全対策にかけられるコストやリソースが限られている場合、論理的に「リスク」が大きいと判断される項目を優先すべきです。すなわち、Risk Matrix上で、発生頻度が高く、また被害もそれなりに大きい(Medium ないしHighあたり)といった事案への対応を優先すべきなのです。
人命がかかっているからこそ論理的に「リスク」を分析する
このRisk Matrix活用の最大の利点は、各脅威要因がご自身や所属団体にとってどの程度の頻度で発生しそうなのか、また万が一発生したとして、どのくらいの被害が生じそうなのか、冷静に見つめなおすことができる点です。Risk Matrixを使ってみると、我々が漠然とイメージしている優先順位と分析結果が異なる、という事態にもしばしば直面します。
例えば、テロのニュースは世界的にも大きく報道されますし、死者が出てしまった場合、「万が一巻き込まれたら・・・」と悪いイメージが強く印象付けられてしまうこともあり、テロリスクはやや過大評価しがちです。特に大きいなテロ事案が発生した直後などは経営層から
「うちは大丈夫か?」
「しっかり備えができているんだよな?」
等と声をかけられ、急に優先順位が上がってしまう、というご経験をされた方もおられるのではないでしょうか?
他方で、一般犯罪などは「まぁそういうこともあるよね」と認識されてしまうためか、発生頻度やその凶悪性(強盗に発展しているかどうか、組織的かつ計画的に行われているかどうか等)といった点を踏まえると過小評価してしまう傾向にあります。
Risk Matrixの(発生頻度)×(被害の影響度)という掛け算を用いれば、
「被害の影響度は極めて大きいけれども、よく考えたらまず起こらないな」
という事例を過大評価することはなくなります。イメージにとらわれて、こうした事例への対策を優先させてしまうと、実は人命を失いかねないくらいの影響度があるにも関わらず、目立たない、ニュースにならない、という理由で過小評価されてしまっている事例への対策が後回しになってしまうのです。
経営上、お金の面での失敗は避けるべき事態ではありますが、よほどのことがない限り、失敗=自分や従業員の死ではないはずです。他方で、安全対策の場合は失敗はすなわち人の命が失われたり、けがをしたり、という事態にもつながりかねません。お金以上に重要な人の命がかかっているからこそ、「感覚」で判断するのではなく、冷静かつ論理的な「リスク」分析が必要ではないでしょうか?
ぜひ、Risk Matrixを活用して皆さんにとって、最大の「リスク」がなんであるかを発見してみてください。
なお、無償で公開している本コラムではRisk Matrixの概要と使い方を説明させていただきました。企業のご担当者様などで、
「我々の海外進出先、海外での活動実態に即してより精緻なRisk Matrixを作成して欲しい」
「発生頻度や被害の影響度の分類の基準をもっと詳しく知りたい」
というご希望がございましたら個別コンサルティングは可能ですので、弊社窓口までご連絡ください。
さて、実際に海外各地で活動する場合、Risk Matrixによる「リスク」分析を行うことはゴールではなく、スタートです。具体的に現地で気を付けるべきこと、対策を講じるべき事項を整理し、実践する必要があります。
しかしながら、Risk Matrixを上手に作ることができれば、そういった具体的な対策はおのずと見えてきます。やみくもにあれもこれも揃えるのではなく、皆さんご自身や所属団体の実態に即した適切な安全対策が見えてくるのです。
次のコラムではRisk Matrixに基づく安全対策の考え方をご紹介します。
この稿終わり