国外退避を行う時のチェックポイント

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ウクライナ日本企業の駐在員退避の動き

2022年1月、ウクライナとロシアの間で軍事的緊張が高まっています。特にロシア側がウクライナ側に軍事侵攻するのではないかという指摘が広がっており、アメリカや日本を含む外交関係者も同国から退避を始めていることが報じられています。この状況下、日本政府外務省はウクライナに対する危険情報を「レベル3:渡航は止めてください。(渡航中止勧告)」に引き上げ、現地に滞在している一般の日本人に対して商用便を利用した早期の出国を呼び掛けています。クライナに進出している日本企業の間でも1月末までにはできる限り駐在者や家族を日本に退避させようという動きも始まっていますね。

 

現時点ではウクライナとロシアの間で本格的な軍事衝突が発生するかどうかはわかりません。国境を挟んで軍の部隊が動いている様子は報告されているものの、両国間及びロシアとNATOの間で外交的な交渉も続けられており、対話の道が閉ざされているわけでもありません。

他方で、いざ国と国との間で軍事的な衝突が発生してしまった場合には一個人はもとより、一企業/団体の力でできる安全確保策は極めて限定的となります。そのため、「最善を望みつつ、最悪に備える」ことが重要であることは言うまでもありません。最悪に備えるための一つの手段が商用便を利用した早期出国であると言えるでしょう。

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外務省がウクライナ在留邦人に向けて早期出国を呼び掛けるために配信したメール

 

しかしながら、「はい、今すぐ出国してください」、という対応はそう簡単ではありません。観光目的の旅行やトランジットなど短期で滞在する場合には多少手間はかかりますが、スケジュールを変更することでサッと出国することはできます。では、現地でビジネスをされていたり、現地の方と結婚するなどして生活基盤がその国にある方はどうでしょうか?短期滞在と違い「戻る場所」がないわけですから、サッと出国するというのは非常に困難です。「最善を望みつつ、最悪に備える」、「早期に出国する」というのはまさに言うは易く行うは難しの典型例と言えるのではないかと思います。

 

ウクライナ、ロシアで事業展開されている方、あるいは今後発生しうる類似の事態に関係する方に参考になるよう、今回は国外に退避する際の基本的な考え方やどのようなチェックポイントを設定しておけばいいか、概論をお伝えしたいと思います。

 

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過去印パ両軍が戦争寸前になった際の日本政府対応

「賢者は歴史に学ぶ」と言われます。ウクライナとロシアは現時点で大規模な軍事衝突に至っていませんが、過去に起こった事態をあれこれ調べておくことが大切です。2000年代に入ってから発生し、多くの日本人が影響を受けた事案ということでまずインドとパキスタンの間で、緊張が高まったケースを見てみましょう。

 

印パ両国は本格的な戦争を三回にわたって(1947年、1965年、1971年)経験しており、それらを除いて最も緊張が高まったのは2002年のこと。前年2001年にパキスタン国内を拠点としていたとされるテロリスト集団がインドの国会議事堂(デリー)を襲撃して以降、両国関係が急速に悪化していました。2002年になってからも緊張が緩和することはなく、4月頃には両国間広い国境地域全体に双方の軍が展開し始めるという展開になったのです。既に両国は核兵器を実戦配備しており、最悪のケースでは人類史上初となる核戦争の危険もうわさされ始めたのです。

 

こうした事態を受け、日本政府外務省はインドおよびパキスタンにいる日本人に対し、可能な限り早めの国外退避を呼びかけました。

参考情報1 → その当時在パキスタン日本国大使館からの邦人向け注意喚起

 

参考情報2 → 当時JICA(国際協力機構)の専門家としてインドに駐在していた方の個人ブログ

 

当時インドやパキスタンにはかなり多くの日本企業が進出していましたので、影響を受ける日本人の数も非常に多かったと言えます。公開されている記録によれば、2002年5月~6月にかけて約2000人の人が商用便とチャーター機を利用して両国から出国したとされています。その当時、日本政府外務省の邦人保護課長がインド・パキスタン情勢緊迫化での邦人保護について語ったインタビュー記事が残されています。この記事にもある通り、日本政府は両国の緊張が高まるなか順次滞在中の日本人の安全確保策を講じていたことがわかりますね。

 

参考情報3 → 当時印パ両国からの邦人退避を担当した外務省邦人保護課長のインタビュー記事(外務省ホームページ内

 

いかがでしょうか?これらの記事から、国家間の緊張が高まった際には日本政府外務省として

 1.滞在中邦人への早期出国呼びかけ

 2.駐在者や長期滞在者向けの情勢説明会

 3.必要に応じてチャーター機の手配や退避オペレーション

 4.危機発生後に現地に残っている邦人の出国促進、安全の確保に向けた支援

の順番で対応を行うことがご理解いただけるのではないでしょうか?

 

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滞在国で紛争が発生しそうな時に検討すること

さて、インドとパキスタンの緊張に伴う退避は結果的に杞憂に終わりました。2002年後半から2003年にかけて一旦出国した日本人の皆さんも無事に元の職場・生活拠点に戻られたものと理解しています。では、反対にうまく退避できなかった事例はどうでしょうか?

 

第二次世界大戦以後、日本人が外国同士の紛争に巻き込まれた最も深刻な事態は1990年のイラクによるクウェート侵攻に伴うものだと思います。この時は合計500名以上の日本人がイラクやクウェートから脱出できず、長期間「人間の盾」として利用されたのです。たったの500人と言えるかもしれませんが、この時現地にいらっしゃった方はもちろん、ご家族や友人が紛争地域で事実上の監禁状態に置かれていた方の心労はいかばかりだったかと思います。(この時日本人解放に向けて積極的に行動したのがアントニオ・猪木参議院議員(当時)でした)

 

誰も想定していなかったタイミングでイラクがクウェートに侵攻したため、多くの駐在者・関係者が国外退避できないまま、現地にとどまらざるを得なくなったというのが実態です。似たような事例は2021年8月、タリバン勢力がアフガニスタンで権力を再奪取した際にも起こりました。この時は日本人の滞在者が極めて少なかったのであまり話題にはなりませんでしたが世界の誰も予想だにしていなかったスピードで当時のアフガニスタン政権が瓦解したため日本のみならずアメリカもイギリスも自国民を退避させる余裕がありませんでした。

 

こういった事態にならないためにも、紛争が予期される場合には国や地域を問わず速やかにその場を離れることが大切です。ただし、観光旅行ならともかく、仕事で現地に滞在中の方、まして長期駐在で生活基盤がある方が「速やかにその場を離れる」というのは無理があります。そこで、当サイトは一般論としての事態深刻化に対する対応手順目安、チェックポイントをご紹介します。(以下表はあくまで目安です。急激に事態が悪化するケースもあります。本社の方針や日本政府外務省からの指示等も踏まえ、その時点での最善策をご検討下さい)

 

状況が徐々に悪化する際は順番に国外退避の手順を整え、民間航空機が飛んでいるうちに家族等仕事上どうしても現地に滞在しなければならない人以外は順番に国外に移動してもらうことが秘訣です。また、状況が悪化しそうな場合は長期休暇中や国外出張で現地を離れている人の帰国を一時延期するという手段もあります。

 

この時、以下の表に、現地の情勢がどのような状況になった場合、誰から退避をするのか、どんな準備を整えておけばいいのか、チェックポイントと共にまとめてみました。イラク・クウェートやアフガニスタンのように急速に事態が悪化する場合もありますが、事態悪化の兆候が見えてきた場合や危険性が指摘され始めた時点で一足早く退避に向けた準備をすることができれば完全なパニックは防げるはずです。

 

最終的には日本大使館等の助力なども得て現地の拠点長まで全員が無事に出国でき、かつ現地人スタッフなどに最低限の業務継続を任せられるようにしておくことができればベストです。日本人が駐在しなければできない業務も多くあるでしょうが、数か月で事態が収まった際に日本人が戻れるよう現地拠点を最低限維持していれば業務再開もスムーズです。

 

もう一つ、忘れがちですが大事なチェックポイントをお伝えします。国家間紛争を前にすると「とにかく逃げる」ことだけに専念しがちですが、一時的な国家間紛争もいずれは落ち着きます。すべてのインフラが完全に破壊しつくされる、あるいは無政府状態が長期間続く、といった事態にならなければ長期滞在者、駐在者の順に元の生活環境に戻る努力が始まります。国外退避を行う際には「最善を望みつつ、最悪に備える」わけですから、最善に近いケース、すなわち退避期間が短くすむ場合も想定しておくことをおススメします。

 

具体的には

 

どのような状態になったら現地に駐在者を戻すのか

どういう条件で現地のビジネスを再開/規模回復させるのか

ビジネスの再開/規模回復に真に必要な「種」はなんなのか

 

といったことは緊張が高まる前にある程度考えておいたほうがベターです。緊急事態の発生後、まさに退避オペレーションを行っている間にこうしたことを考えるのは難しいでしょうから、日本政府や同業他社が危険性を指摘し始める前、できれば平時から頭の体操をしておくことが大切ですね。

 

現時点でウクライナとロシアの間で直接的な軍事衝突が発生しているわけではありません。また、日本政府を含め多くの政府が可能な限り早期の出国を呼び掛けている現状でも特に長期滞在者の方の中にはそう簡単に現地を離れるわけにはいかない方もいらっしゃるはずです。新型コロナウイルス感染症対策でもそうですが、安全を最優先にして既存の生活スタイルをすぐに変更する、大幅な費用負担を強要するというのは机上の空論でしかありません。

「安全を最優先に」との誰も反対できない指示を受けつつ、どうすれば現地で行われている業務を維持できるか、自身の安全と生活維持を両立できるか、国外退避の実践でご苦労される方に少しでもヒントになれば幸いです。

 

なお、繰り返しになりますが現地の方と結婚されている日本人の方、あるいは駐在員の配偶者やご家族で現地/第三国の国籍をお持ちの方、現地で採用したローカル人材で日本人と一緒に働いていた方やその家族の避難をどうするかはまた複雑な問題です。今の時代日本人の駐在者だけ保護して、ローカル人材は全くケアしないというのはなかなか通用しません。ただこうしたケースは安全面以外でも配慮すべき事項が多く一般論ではなく、個別具体的に対応を検討する必要があります。

もし、弊社にご相談を希望される場合にはお問合せのページからご連絡いただけると幸いです。

 

この項終わり