駐在員派遣再開時に考えたい誘拐リスク

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駐在員を取り巻くリスク

2023年に入り、日本政府が新型コロナウイルス感染症を感染症法上5類に分類変更したことから、海外に渡航する日本人の方が増えています。海外に渡航される日本人の方が増えれば必然的に海外で犯罪被害に遭う日本人の方も増えます。このため当サイトはもちろんのこと、日本政府外務省もたびたび注意喚起を行っています。

当サイトのツイッターでは全世界の状況をモニタリングしつつ、日本人の方に役立つ情報を毎日発信していますのでぜひともフォローいただければ幸いです。海外にいらっしゃる方への推奨・拡散ももちろん大歓迎です!

さて、海外から日本に戻る際の出入国制限が緩和され、手続きの簡易化が進んだことで海外事業に取り組まれている企業/団体の中には改めて海外駐在員を現地に戻す動きが出てきています。これまで感染症対策の一環として現地駐在者を減らしていたケースも多く聞いておりますが、今年に入って現地駐在者人数が増えてきている印象です。

 

海外事業を行う場合、海外事業に関与する社員/関係者は現地で日本とは違うレベルのリスクに直面します。出張者も駐在者(長期現地滞在者)も総論として直面するリスクの種類・項目はそれほど変わりません。ただ、唯一現地の滞在期間の違いによってリスク量が異なるのは「誘拐」です。誘拐という犯罪はその性質上一般犯罪や銃/車両を用いたテロと比して実行に至る前のプロセスが重要であり、ターゲットの選定や下見の時間なしにできない犯罪行為です。(身代金目的の短時間誘拐は一般犯罪に近い点ご注意下さい)

 

例えば、日本人が被害に遭った海外での誘拐事件として有名な三井物産マニラ支店長誘拐事案では実行犯らは何度も被害者の行動パターンを確認し、ゴルフ場の帰りに誘拐を行っています。思い付きで犯行に及んだわけではなく、相当の身代金が取れそうな日本人、役職者、そして誘拐が成功しそうな場所を選んで実行した事件と言えますね。

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海外で業務に従事する社員/関係者が直面するリスクの種類

 

短期滞在者、いわゆる出張者や短期の留学生、海外旅行者は現地で行動パターンは定まりません。そもそも数日~数週間の滞在しかしないのであれば現地人から見ればどこのだれなのか特定できないうちに帰国してしまい、犯行のチャンスすらありません。他方で、駐在者の場合はどうでしょうか?現地に生活の拠点があり、出勤や帰宅のタイミング、休日の過ごし方などある程度予見可能な生活スタイルが定まってきます。また、都市を転々とすることもある短期滞在者と違い、駐在者の場合は自宅や勤務先といった原則変わらない場所を繰り返し移動することが避けられません。このため、誘拐を企図する犯人グループは対象者を絞り込みやすく、また誘拐が成功しそうな場所・時間を事前に検討することができます。短期滞在者と長期駐在者の行動様式の違いから、世界各地の事業拠点に駐在員を再派遣する、駐在員の人数を回復させるということは誘拐リスクがより高まるということを意味する点ご理解下さい。

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誘拐発生!その時何が起こるのか?

では、万が一、自社の従業員や関係者が誘拐された際、どのようなことが起こるのでしょうか?そしてその関係者、特に日本の本社がどのような行動をすべきなのか、簡単にご説明しましょう。

 

まず、大前提の確認をしましょう。誘拐被害は非常にインパクトの大きな出来事ですが、誘拐=死亡ではない点に注意しましょう。むしろ、誘拐被害者の多くが生きて帰ってきているというデータをご確認下さい。誘拐が発生した場合にまずやらなければならないのは誘拐された従業員や関係者の生還を全力で実現することです。上述の三井物産マニラ支店長が誘拐された事件をご存じの方は、無事に日本に帰国された際のニュース映像を覚えておられるかもしれませんね。

過去日本人が誘拐された事例はもちろんのこと、直近2023年の事例ではパプアニューギニアでニュージーランド人研究者が誘拐されたケースでも生きて解放され、帰国の途についています。皆さんが思っている以上に無事に解放される割合が多い、という点前提として認識していただければと思います。

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パプアニューギニアで誘拐されたニュージーランド人学者が解放された際の報道

例えばフィリピンでの調査報告書によれば誘拐された方の73%は無事解放され、7%は脱出に成功、3%の方は治安当局等によって救出されているという統計値があります。死亡が確認されたのは誘拐被害者の8%のみ。意外なデータかもしれませんが生存確率が80%以上というのは覚えておいてください。

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2011年~16年、フィリピンで誘拐された人の83%は無事に帰還した(Red24の報告書からキャプチャ)

被害者が生きていることを前提として、日本の本社・本部が行うべき対応は主に次の四つです。特に1.~3.までは一般的な企業・団体だけですべてを行うのは難しいでしょうから、ここは我々のようなセキュリティを専門とする企業への依頼をご検討下さい。

 

1.人質の解放交渉

2.官邸/外務省との情報共有

3.マスコミ対応

4.本社・現地対応チームの組成とその維持(担当者の健康管理・メンタルヘルスケアを含む)

 

誘拐は人質をたてにした交渉を行うことで何らかの目的を達成するための犯罪です。そのため、犯行グループは政治的、経済的あるいはその他の要求を有しています。こうした背景を理解しながら、人質の解放に向けて仲介してくれる現地のグループやこの手の交渉を専門にする危機管理会社の協力を得ることが大切です。他方で、そうした仲介者、交渉者に任せきりにしていてもいけません。交渉のプロセスで犯行グループから要求されることの中にはできることとできないことがあります。このため、丸投げにするのではなく、自社が全体を把握し、決断が必要な場合には経営トップが決断する必要があります。

また、日本人が海外で誘拐された場合には、必ず大きく報道されます。そして人命救助/邦人保護のため、外務省はもちろんのこと場合によっては首相官邸からも情報共有を求められるケースがあるでしょう。永田町・霞が関及び各種マスコミ対応も基本的に自社で対応する以外ありません。広報アドバイザー、メディアコンサルタント等を雇用することはできても、社長を筆頭とした自社の経営層が全く表に出ないということはあり得ないのです。誘拐被害がひとたび発生した場合には、これだけのことに同時並行で対応しなければならない点、ご認識いただければと思います。

【参考】アルジェリア 日揮プラント襲撃事案の際の日揮本社取材対応事例

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誘拐対応は長期戦

さて、誘拐事件に巻き込まれた場合、その対応は通常長期戦になります。一般的な犯罪被害であれば盗難品の整理と警察への届け出、日本国大使館/総領事館への報告が終われば概ね対応は終了します。状況によっては被害者を入院させたり、帰国させたりする場合もあるかもしれませんが、基本的には数日~長くても一週間程度で対応は終了するでしょう。

万が一大規模なテロや自然災害、あるいは事故等で従業員/関係者が不幸にしてなくなってしまった場合はどうでしょうか?その場合ご遺体の搬送やご遺族への説明は必要ですが、事件/事故は既に終わっていますので、こちらも対応すべき事項が多いのは事件/事故から数週間というのが一般的だと思います。(もし自社の安全配慮義務が不十分だった場合などは裁判や賠償の関係で数年~数十年の対応が必要となります)

 

では誘拐はどうでしょうか?上述の通り誘拐事件の場合、被害者は生存して捉えられているケースがほとんどです。実行犯グループはなんらかの要求を満たすために人質の命と交換で交渉をしてくるわけですから事件は数日から数週間では終わりません。交渉期間は大抵数か月~数年に及ぶこともしばしば起こりえます。つまり、犯罪やテロ等と比べれば誘拐への対応は長期戦になるのです。これは企業・団体内で誘拐事案の対応に当たる業務も長期間続くことを意味します。この点で、前項4.本社・現地対応チームの組成とその維持(担当者の健康管理・メンタルヘルスケアを含む)が重要になってくるのです。

 

具体的に日本人が海外で誘拐された事例を見てみましょう。既に実例として挙げた1986年の三井物産マニラ支店長誘拐事案は1986年11月15日に発生し、解放されたのは1987年3月31日。1999年8月23日、中央アジアキルギスで発生した日本人鉱山技師ら誘拐事案の場合、解放されたのは同年10月25日でした。この二件はいずれも数か月という単位で誘拐事件が「現在進行中」だったことがわかりますね。当然のことながら、この間日本の本社や現地拠点では救出に向けた特別勤務体制を維持し続けなければなりません。

ちなみに先ほど引用したフィリピンでの人質事件調査報告書では誘拐事件の35%程度は解放まで1~6か月、20%程度は6か月以上数年に及ぶものもある、と記載されています。数か月間の間、特別勤務体制を維持し、人質解放に向けて協力してくれる危機管理コンサルティング会社、現地交渉担当者等を雇用するには当然費用も人員も必要です。現地業務も普段通りとはいかないでしょうから、必要な出費と機会損失を合計すれば経済的な負担だってバカになりません。

 

こうした背景を考えれば、海外に駐在員を派遣する場合必ず三つの対策をおススメします。

一つは現地駐在者に対し誘拐の標的になりにくい行動を学んでもらうこと。例えば当サイトの有料セミナーでも関連の講座をご用意しています。

【有料セミナーご案内】海外安全対策担当者実践能力強化コース

(学習テーマ5「誘拐対策ワークショップ」)

二つ目は現地駐在者の安否確認をいつでも行える体制にしておくこと、また緊急時には本社側で対策本部を構築できる状態にしておくこと。これは誘拐に限らず、一般犯罪やテロ、自然災害等の発生時にも有効な対策です。

そして三つめは誘拐事案等に巻き込まれた際の社内外協力体制及び経済的負担の軽減を担保しておくこと

 

コロナ禍やロシア/ウクライナ問題の影響を強く受けている現在の世界情勢は数年前と比して不安定化していると言えます。「これまで何もしなくても駐在員が誘拐されるケースなんかなかったよ」とお考えかもしれませんが、誘拐を含む世界のリスクは今まさに変化しています。これまでくどい説明をしてきていますが、誘拐事件はいざ、巻き込まれた場合には長期かつ大問題になってしまいます。企業・団体の存続のためにも対策をとっていただくのは事件が発生する前!をおススメします。

もし、駐在員の派遣再開/規模回復に当たってリスクのアセスメントや現在の御社対応状況を確認されたい場合にはお気軽に弊社までご相談下さい。費用はほとんどかからず、ちょっとした「工夫」のレベルで誘拐リスクを大きく低減できる方法もございますので、予算がないから、とあきらめるのではなく現時点でできることがないかだけでもご相談いただけると皆さんの海外事業がよりサステナブルになるはずです。

この項終わり